自己の価値 3

我われ人間が向かう究極にあるのは死である。
死は生きた全体を無化するように見える。
我われは、人生とは何であるかという究極の問いにどう答えるのか?
それは難解である。
答えがないようにも思われる。
そのように思われる理由は、死の存在を意味づけすることができないからではないだろうか?
死は自我の能力を超えたものである。
だから死の問題は不問に付すしかない、といったことであるようにも思われる。
だが、そこのところ、死が、自我に拠っている我々人間の宰領範囲を超えたものであるが故に、「死は無限である」と答えることができるのではないか?
自我に拠る生は有限である。
だから、死は生の終焉であるのだが、そのことは「自我の能力を超越した世界が在る」といえるのではないか?
所詮は、自我の立場で理解するしかないのであるが、その立場でいえば、「無限界はアル」というべきではないだろうか?
合理的世界は非合理的世界がなければ成り立たないのである。
自我が理解できる世界があるということは、自我が理解できない世界がアルということである。
それが自我に拠る我われのいい分でなくて何があるのだろうか。 ’20.2.24.

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