個人の事情 4

  科学は現代の「明るく便利」な社会を作り出してきたので、そのかぎりでは「人間の勝利」である。
  何に対する勝利かといえば、「昏く迷妄する世界」への、ということになるのだろう。
  ニーチェが「神は死んだ」といったのも科学の進化を前にしてのことであった。
  科学がもたらした力は未曽有のことであったわけだが、現代の災厄をもたらしているのが、他でもない科学主義であるという笑えない現実が
  ある。
  ニーチェに借りていえば、「神は死んだ」理由が科学主義であり、「神の反攻を受けて危うくなっている」のも科学主義に起因する、といっ
  ても言い過ぎではなさそうである。                                      ’19.11.4.

個人の事情  3

  ‘こころの病気’は、‘薬で治す’ものではないというのは、「ふつうでいう意味での病気」ではないからである。
  「ふつうでいう意味での病気」というのは、生物学的な原因があるという意味である。
  原因(形態学的な、あるいは生化学的な原因)があり結果があれば、それは科学の範疇に入る。
  現代の診断基準は、WHO(世界保健機関)の専門部会が策定したICD-10に拠っている。
  ICD-10は「いつの日か「原因」が確定されるまでは(曖昧な)操作的方法に甘んじるしかないことで 
  我慢してほしい」といった意味の断り書きを付記している。
  つまり「病気」である以上は「原因」が特定されなければならない、というのは、医学界では世界の常識なのである。
  それは現代が科学主義の時代といわれている所以でもある。                      '19.11.4.

個人の事情 2


 ネットによるいじめ、中傷のニュースがしばしば報道される。
 闇に紛れて他人を中傷するのは、いうまでもなく卑怯である。
 夜陰に乗じる悪党の心理と近いともいえる。
 私個人も経験がある。
 「薬を大量に出されるので転医したらすぐに治った」・・・という中傷がネットに載っていると聞かされたことがある。
 仮に私の患者さんがしたことであれば一大事である。
 その場合は憤慨するよりは自分を恥じるしかないだろう。
 だが、そういう患者さんはいないと信じる理由がある。
 「そもそも、‘こころの病気’は‘薬で治す‘ものではない」ということを、折に触れて患者の皆さんにお伝えしているからである。’19.11.4.

個人の事情   1

 ※月※日:
 自殺をしてはならない理由は、自然に逆らうのは人間の分ではないというところにある。
 自殺は人間の営為であり、人生は自然の営為である。                            



 ※月※日:
 人間の営為とは「自我に拠る社会的存在」の営みのことである。
 自然の営為とはこころの内界である無意識の意向のことである。
 無意識の意向が「内心の声」となるのは、自我を通じて密かに意識上に届けられた場合である。 


                       
 ※月※日:
  自我に拠る社会的存在としての我々は「囲いの中の自由」を生きている。
 「囲いの中」での最も重要なのは他者との関係である。
  自己と他者とは相対的関係にある。
  だから「囲いの中の自由」を生きている我々は、しばしば他者と「パイの奪い合い」にな   
  る。                                               ’19.10.24.

精神科より「自我に拠る社会的存在」について2 2018年8月30日 記

自我が主宰する意識の世界は、「それ自体」の世界ではありません。
「それ自体」というのは、何ものにも依存せず自己完結している「一様の世界」といった意味です。
そういう性格を持っているのが無意識界です。
「自我に拠る社会的存在」は「一様の世界」である無意識界に依存しています。
このことは無意識界が、人間(社会的存在)が依存を不可欠のこととしていることの根底にあるモノであることを指し示しています。
そして、そのことは、「一様の世界」である無意識界は言葉を換えると「全体性の性格」であることを、依存を生きる宿命の下にある「自我に拠る社会的存在」は、「相対的世界」の存在者であるということをも指し示しています。’18.8.30.