精神医療 随想 9  不登校の問題 9

孤独を受け入れるこころが危機に備えるこころである。
平和なときはひととの関係を楽しめばいい。
それが煩わしければ、ひとりで居ればいい。
孤独を受け入れたくないこころは、幼児性が高いといえるだろう。
孤立しているひとはこころの奥で怒っているかもしれない。
孤独という自分を護る備えが乏しければ、幼いこころが母親との関係を必要としていることとさほどの違いはないだろうから。
ひととの関係を望んでいるのに、排除された気持ちを持っているだろうから。        ’20.5.22.

個人的な事情  2-2  私の履歴書 2

役所を辞めてある精神病院の募集に応じた。
そこを選択したというよりは、取り合えず身を寄せるところが必要だった。
数年、居て、大学病院の一員になった。
精神科医としてやっていくには、そのままではまずいと思ったので。
大学病院に何年かいた。
ここは自由度が高く、居心地がよかった。
だが、6,7年たって公的な精神科関係の施設に入った。
大学では「上に行く」気がなかったので、場所ふさぎと思ったからだった。
私が入った施設の長は、患者さん思いが強いことで評判のひとだった。
私の乏しい経験だけでいえば、評判どおりということは起こったためしはなかった。
しばらくそこに居て、私は施設の全体を巻き込む騒ぎを起こした。
受け持ちのAという患者さんをめぐってのことだった。
数人のパラメディカルの職員も賛同してくれて、Aさんを施設に近づけないように自宅で支えるという計画だった。
これは、そもそもが困難で現実的ではなかった。
大騒ぎの果てにAさんが問題を起こして、入院させる結末になった。
私はそのまま勤めるような鉄面皮なことはできなかった。
行き場を見失って、医療刑務所に職を求めた。
そこは入ってみると、意外なほど自由度が高かった。
所長が見識のある人だったこともあり、ずるずると長居をした。
その所長が定年を向かえる時期が来た。
私も身の振り方を考える必要があった。
ふと思いついたのが開業だった。
それまでに開業医というアイデアは浮かんだことがなかった。
そのための資金はなかったので、自宅を処分してそれにあてた。
それ以来、20年余になる。
紆余曲折の人生の中で、この20年は例外のように落ち着いた生活ができているように思っている。
私には「社会的な何ものか」である以前に自分自身でありたかった。
そのための自由が必要だった。
精神科開業医という身分になって、思いがけなく、その自由が実感できていると感じている。 '20.2.21.





個人的な事情 2-1 私の履歴書 1

これまでの人生で、私は「何ものかになりたい」と思ったことはほぼ一度もなかった。
精神科医を目指したということもなかった。
元来が「人といたい」よりは「自分といたい」人間だった。
そのせいで、無意味にぼんやり過ごす時間がほとんどだった。
大学2年の教養課程にいて、3年時になると学部を選択する必要があった。
なりたいものがなかったせいもあって、学部選択を迫られる段階で行くところがないのに気がついた。
成績がよければ選択の自由が、まだしもあった。
だが成績不良の身で、たったひとつの選択肢があった。
医学部だけは選抜試験があったのである。
それをやるしかなかった。
それで何とか医学生になったのだが、ただそれだけのことだった。
そんな調子で卒業の年を向かえ、行きたい医局が見当たらなかった。
卒業をして、ある役所に入った。
そこに魅力を感じたわけではなかった。
とりあえず、ということで役人になったが、鉄面皮ないい方になるがただの不良役人だった。
初めから3年で辞めると内心で決めていた。
辞表を出すとき、思いがけなく慰留された。
その役所には学閥があり、兵隊が要るからであるのは明白だった。
いずれにしても、決めていたとおりにする以外になかった。              ’20.2.13.












個人的な事情  1 ブログを書く理由

ブログを書く理由は、私の場合は何だろうと自問することがある。
現実的に、この営みは、私の生活の中で重要な意味を帯びている。
それは、未知なるものを探っていく知的興奮を伴っている。
何かの知識を求めて読書をする、といったことよりは、はるかに興味深い営みになっている。
精神科の仕事をしていることと、それは大いに関係がある。
患者さんたちは、人生の道に迷っている人たちであるという思いが、私の場合は強い。
精神科医は教師ではない。
何かを知っている者ではない。
共に考える者である。
人生について「知っている者」などは、そもそもない。
人生に答えはないからである。
だから人生は生きるに値する。
道なき道を探っていくのが人生である。
探ることが「意味」を生み出す。
この場合の意味というのは、「生きるに値する理由がある」ということである。
そして、一方では、道なき道を尋ね歩くうちに、自分を見失うこともある。
それは大きな不安である。
不安は行く手を阻む濃霧のようなものである。
濃霧に阻まれて身動きできなくなっている場合は救助が要る。
精神科医は救助をする立場にあるが、その方法を知っているわけではない。
人生は深淵である。
かぎりなく先がある。
そういうことを踏まえて誰が教師かといえば、無意識界がそれに当たる、というのが私の思いである。
だから未知なるものは、自分に訊くしかないのである。
誰もが、それぞれに社会的立場がある。
その社会的立場で「自分を見失いかけている」のが患者さんである。
みんなが社会生活をしているのであるが、道があるようでないのが社会生活である。
社会生活は、本能という武器を持っていない人間が「囲い合う」ことで安心を護ることに意味がある。
それは人間の知恵である。
だが、「護られないひと」もある。
それは本人の問題であり、関係する人びとの問題でもある。
私はといえば、患者さんたちのおかげで、「自分に訊く」ことが習い性になっている。
そういうこころの作業をしていると、人生も捨てたものではないと思えてくる。
ブログは、私の場合は、そうしたふうに「自分に訊く」土俵になっている。
生きる、ということは意味の創出であるといえるように思われる。    ’20.6.18.