個人的な事情 1-4 精神の病理現象1-4

病理的世界をどのように理解するのかが、ここでの課題である。
自我が主宰する世界は有意味の世界である。
自我の営為は「名づけ得る」ことが、その特徴である。
名づけ得るということは、「意味を与えることができる」ということでもある。
それら、「名を与え、意味を付与する」のは自我の仕事である。
つまり自我が機能するのは、有意味の世界においてであるといえる。
逆にいえば、「名づけ得ない」というのは自我の能力が無効であるという意味になる。
従って、その「名づけ得ない世界」は「無意味の世界」の別称であるということになる。
それらを前提として、人生とは何かといえば、自我が機能するかぎりでの世界、つまり「有意味の世界」を生きることといえるように思われる。
そして、その「有意味性」を無化するのが「死」である。
不安は生を無意味化する力を秘めている。
その不安感は自我の仕事を無意味化するモノとの関係で起こる現象である。
ということは自我の仕事を「監視しているモノがある」という意味を帯びる。
それは超自我とも呼ばれているが、その超自我は無意識界の住人である。
ということは、有限の世界の長としての自我が生きる意味をつかさどるのであるが、それは不完全性を免れ得ないので、自我の拠り所である無意識界によって、何等か罰せられる宿命の下にあるという意味を持っているといえるのだろう。
そのことは、自我の拠り所である無意識界が、自我の仕事を生み出す根拠であると同時に、自我の仕事を批判し、無化する力をも持っていることを意味しているようにも思われる。  ’20.3.24.


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